2011年4月14日木曜日

津波が来たら、沖合へ!!

船舶を所持している者は天災時には守る物が、1つ増えます。
台風時は昼間は仕事で時間が取れない時は 暴風雨の中家族に反対されながらも家を空け船の増舫等の対策に出かける事過去数十回 船を所持する責任は重大です

東京新聞に記事として上がっていましたので、ご紹介します。


「津波が来たら、沖合へ」 先人の教え、船団守る




先人の教えに従い、漁師は船で沖へ向かった。「津波が来たら、沖合に行け」。養殖ワカメの産地として知られる宮城県南三陸町の石浜地区。震災直後、十九隻が沖合に三日間避難し、津波から船を守った。危機を乗り越えた漁師らは、震災復興へ「ワカメの養殖を続ける」と誓う。
 三月十一日午後。地区会長の佐藤登志夫さん(63)は、岸壁近くを測量するため、小型船に乗っていた。突然、海面が大きく揺れる。
 「津波が来る」。集落の漁師に知らせようと、携帯電話を取り出したが、つながらない。「きっとみんな自分で判断する」。岸壁に戻ってワカメ収穫用の中型船に乗り、小型船をつないで沖合に向かった。
 背後を見ると、二十人近い漁師たちが続々と船に乗り込み、続いてきた。沖合五百メートルで第一波の津波に持ちこたえたが、引き波に船が沈みそうになった。さらに沖合一キロまで逃げると、直後に第二波が来た。だが、船は揺れなかった。集落の辺りを振り返ると、高さ十メートル以上の波が岸壁を襲っていた。
 夕方になると雪が降った。着の身着のままで沖に出た漁師たち。油圧エンジンを回し、凍えた体を寄せて暖を取った。三、四隻ずつロープでつなぎ、「寝たら凍死するぞ」。声を掛け合って一夜を明かした。
 翌日も余震の恐れがあり、陸には戻れなかった。津波の合間をぬって陸に近づき、防波堤から家族が投げ入れた毛布や食料を受け取った。沖合でさらに二夜を明かし、十四日朝に家族の元に帰った。
 石浜地区では「水深五〇メートルの沖合に出れば船は津波の影響を受けない」と漁師の間で代々言い継がれてきた。この地区の沖合一キロ地点は水深約七〇メートルはあるという。佐藤さんは「みんなのチームワークでこれだけの船が残せたのは感激。これからも団結していく」と仲間とともに沖合を見つめた。
中部地区で考えると 伊勢湾・三河湾では 水深も浅く鳥羽と伊良湖岬の間が狭くなっていますので、太平洋迄沖合避難する必要があります。30分と想定した場合はこの教えは足の速い船以外沖合避難は不可能ですね
志摩の場合でも 私の係留場所は英虞湾の奥になりますので、全速で走ればなんとか30分水深50m地点迄は行ける想定になります。ヨットの場合はボートよりも耐候性では有利なのですが、足が遅いので60分は最低必要となってしまいます。
陸上での高所迄の避難は車でも普通で20分はかかり 車で避難される方が多くなれば一車線の道路で渋滞も予想されますので、陸か沖かの避難の選択は津波到達時間が30分以上ならば沖合避難と決めました。

プレジャー船を所持されている方は 地震時にマリーナにいなければ津波避難は不可能ですが、陸上の避難場所と同時に沖合避難の水深50m地点の把握及び所用時間等を確認しておく必要がありますね

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